2022年5月19日木曜日

【コラム②】自己紹介 ~校長先生の履歴書~

校長の自己紹介

運営協議会で「飲み方もなくなり。校長先生を知らん人もおっかも」

・・・という話もでましたので,今回は,私の自己開示(紹介)をします。


 現在 180cm 110kg 大きい先生です。

 幼稚園 聖母幼稚園(モンテッソーリ教育だそうです。マツコでみました

 小学校 可愛小学校

 中学校 川内北中学校

 高校  川内高等学校

 大学  鹿児島大学教育学部


出身は,お隣の川内市(現:薩摩川内市)です。

 

●小学校時代

 漫画三昧の日々でした。手塚治虫の漫画は全部読んだのではないのでしょうか。

 マンガクラブでかいた作品を壁面掲示で連載していましたね。

担当の先生が好き放題にさせてくれたおかげです。

また,機械を分解するのが大好きでしたね。

高校の英語教師であった父親が何を思ったか半田ごてを買い与えてくれました。

暇さえあれば壊れたラジオ等の分解をしていました。

組み立てたことは一度もありませんが,私の興味・関心の方向性が定まった小学時代だったと思います。

 

●中学校時代

 友人の誘いで卓球部に入部。

 体が大きいという理由なのかキャプテンに任命されました。

 強豪校でしたので,団体戦,県大会優勝、九州大会四位、全国大会出場を果たしました。

個人戦は負け越しですが、卓球は,社会人になっても継続する生涯スポーツになりました。(所有漫画冊数が1000冊超えたのもこの頃)

 

●高校時代

 パーソナルコンピュータが世に出始めた頃です。

高校のトップクラス入学祝い(当時は習熟度別の学級編成でした)に、父親がSHARP X1というコンピュータを買い与えてくれました。試験前も夜中の3時までいじっていたので、コンピュータを押入れに取り上げられました。

 

 

●大学時代

 コンピュータをいじることができるという理由だけで、数学専修に進みました。

 同時に、漫画同好会に入りました。1年で退会し、友人が発足したテーブルトークRPGサークルに入りました。小説・シナリオも執筆していました。(←ここ伏線です)

 

 …つまり私の主成分は、マンガとPC、ゲーム好き、たまに小説をかく卓球人になります。

今の子に言わせると陰キャじゃん!という青春時代でしたが、楽しかったですね!

これで、のちのちの人生がきまったような気がします。

  

【社会人】

●教諭時代

 『学校ホームページ事件』

自分の給料でコンピュータが買えるようになりました。

インスタントラーメンを半分にして食費を浮かし,コンピュータや周辺機器を買いあさっていました。

そんな折り,今からちょうど20年前に、鹿児島市の学校でホームページ作成の仕事を任されました。(PCが得意でしょ?という理由です)

 当時の校長先生は、とても理解のある方で「好きにやっていいよ」といってくださいました。

 お言葉に甘えて、本当に好き放題にやらせていただきました。

 そして,その仕事を1年続けたころ,学校に「表彰するので東京にきませんか?」という連絡がきました。

 

 そのころ、全国の小学校ホームページの県代表を表彰しよう!という応募を前提としないコンテストがあったのです。甲子園みたいなものです。

 このコンテストでは、合計八回 全国ベスト8の表彰式に呼ばれたかと思います。ベスト8受賞八回のうち二回が文部科学大臣賞一回がデジタルイメージ賞でした。

 




 その後、鹿児島県優秀サイト九州ウェブサイト最優秀賞にも呼ばれました。週刊アスキーキッズブログ上月財団の賞もいただき,これも東京に招待されました。さらに,学校ホームページ上に発表したゲームやWeb絵本がうけて、事後承諾(だったと思います)、教育技術という雑誌にも掲載されました。

 マンガとPC、ゲーム好きが役に立ちました。陰キャ万歳です。

 

 もし、人に陰キャと呼ばれ,恥じている若者がいたら、それは大間違いです。

 つきつめると、ほとんどの物事は面白くなるんですよ。


『研究が違った事件』

 変わった先生がいるということで(?)、県総合教育センターの研修生にも選ばれました。…世の中、何が起こるかわかりません。

  そこでは,情報教育の研究をしていましたが,どうもしっくりきません。

 研究の終盤の飲み会で,鹿児島大学の園屋教授に悩みを打ち明けたところ,「あなたがしようとしていることは,情報教育ではなく情報学の分野だね」と助言を受けました。1年近く違う研究をしていたのがわかりショックでしたが,そこから情報学や認知心理学の本を読みあさるようになりました。

このこと(情報学や認知心理学の学び直し)は,その後の教員人生に大きな影響を与えたと思います。

 

●教頭時代

 『副賞に目がくらんだ事件』

種子島に赴任しました。児童数30人程度,県外からの留学生が多い,川上小と少し似た学校です。

 教頭1年目,出張の先生の代わりに3時間授業をするようにお願いされました。

 担任の先生も,「何でもやっていい」とのことでしたので、CGコンテストin種子島の作品を子供たちに取り組ませました。副賞の種子島の特産品に目がくらみました。

 大学時代に読んだイエイツという作家の提唱した物語の書き方とCGの描き方を合体させたらどうなるんだろう?という実験のつもりでした。(マンガとPC、ゲーム好き、小説執筆経験の伏線回収です。経験は何かの役に立ちます)

結果、その年の上位入賞を独占しました。


8人応募し、4人が入賞しました。

「小学校部門グランプリ」「審査員特別賞2人」「CGアートコンテスト10周年記念賞」

学校賞の中から,さらに優秀学校賞に選出されました。

 

ただし,受賞式には出張にいっていた担任に出席してもらいました。

副賞の種子島特産品(食料)は,地元勢でしたので、別のものに代わってかなり残念でした。以降、このコンテストに作品を応募したことはなく、最初で最後のチャレンジとなりました。…幻の特産品となりました。

 

『亀仙人事件』

その年,南種子町代表男子卓球チームの一人として県体予選に出場しました。

全国大会出場経験もあり、教諭時代も社会人卓球に出場していたので自信がありました。

 

1回戦の相手は屋久島の御高齢のクラブの方でした。

手加減が必要でしょうか。いえいえ。

こてんぱんに負けました!!

ただの御高齢ではありませんでした。

亀仙人の集団でした。

見た目や年齢で判断するほど,おろかなことはありません。

一市三町(西之表、中種子、南種子、屋久島)が戦った大会は、西之表の20代を含む,若手チームも負け、亀仙人の集団が優勝しました。

一市二町のチームが一丸となりリベンジを誓いました。

 

『リベンジ亀仙人事件』

 翌年は,学校が終わってから,練習にうちこみました。

 さらに,努力で足りない部分はお金で補おうと,プロ仕様のラケットとラバーも新調しました。卓球は道具が7割です。

 努力と道具は裏切りません。

 結果,屋久島の亀仙人集団にもリベンジを果たし,南種子町男子卓球チームは郡大会優勝

 私も7戦全勝50代男子シングル戦も優勝できました。

 


 ただし,県体は,運動会と重なり出場できず・・・。

 これ以降,コロナ禍(と体重増加に伴う腰痛)のため,ラケットを握っていません。

  

Youtuber教頭事件』

教頭二~三年目。

コロナがまん延しました。

県外にいる留学生の実親さんのため,運動会のYoutubeLIVE配信に取り組みました。

実親さんたちには配信実験,地元保護者や中学生には機材の準備・撮影など協力していただきました。ありがたいです。この取組は南日本新聞にも紹介されました。


 




















地域おこし協力隊の方が,教頭会の
LIVE配信勉強会などの様子を取材にきて,ハウツー動画を撮って編集されていました。


 

 コロナ禍で卒業式に在校生が出席できなかったときは、保護者の要望で、メールで送られてきた1人1人の校歌MP3データをフリーのDTMソフトで合成して、校歌斉唱をつくったこともありました。やればなんとかできるものです。



『相川七瀬さんと共演??事件』

 上のようなことばかりしていたせいか,岡山県,長崎県,鹿児島県の三県をリモートでつないだ赤米こども交流事業の企画話がまいこんできました。

 そこで,オンライン授業のシナリオをかき,社会教育課の方にお渡ししました。

 そのまま,どなたかが演者になってくれるかと思いきや,

「教頭先生がやってください」

 ということで,オンライン授業のナビゲーターをしました。

 


 





 


 

 

 相川七瀬さんとリモートで共演できました。いい記念になりました。

大学時代に楽曲を聴いていたアーティストでしたので,嬉しかったですね。

まさか大学のサークル活動のシナリオ書きがこんな形で役に立つとは?

調子にのって,7校合同オンライン授業のナビゲーターもしましたが,こちらは難しかったです。すべりました。

 

『冊子作成事件』

 大学時代のサークル活動でかじっていた冊子の作成も教頭時代に役立ちました。

 一年間留学にくる留学生の記念アルバム作成です。

 一人一人,そのお子さん専用のアルバムをつくりました。

 (本校で写真撮影するのはそのクセがぬけないからです)

 この経験は,六年担任の先生の力になりそうです。


 

 ついでに漫画同好会出身であることをいかし、卒業生似顔絵をパソコンで描いたことも…
 


 
【総括】

 小学校~大学で楽しんだ好きなことって、一生影響するのかもしれません。

 ちなみに、学校ホームページの甲子園といわれるコンテストで,私と鹿児島県代表を争っていたのが、いちき串木野市立川上小学校です。

縁があったものです。

 残念ながら,私は前任の校長とちがい,Scrach系プログラムの経験や英語経験はありませんが,子供たちの要望があれば,何かできるのではと思います。 

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